Skip to content

Archive for 10月, 2013

9/11 教養研修会を開催

先日 9月11日 富山県神道青年会教養研修会が豊栄稲荷神社と富山市民俗民芸村内にて開催致しました。

今年は、富山の文化「七夕・天神さま」をテーマに開催致しました。

第一講、二講は豊栄稲荷神社で、三講、四講は富山市民俗民芸村内にて行いました。

開催にあたり先ず、豊栄稲荷神社にて正式参拝、その後五十嵐顕房宮司さんより神社の御由緒等のお話をしていただきました。

第一講では、「入善町舟見の七夕祭り」を藤保内神社高邑吉房宮司さんにご講義頂きました。

七夕は県内各所で行われておりますが、こちらの地域では神社にて神事を行ってから七夕祭りが始まる大変珍しい地域で宮司さんには、神社の由緒、七夕の起源、そしてここまで広まった理由など様々な観点からご講義頂きました。

第二講では、藤保内神社の元総代戸出和男先生に舟見の七夕祭りで飾られている七夕飾りについて説明をうけ、実際に作ってみました。

今回作ったのは吹流しで、簡単につくれるのかなと思っていたのですが意外と手の込んだ作りになっていて、会員はそれぞれ思い思いの飾り付けをしており童心に返った気持ちでした。舟見ではこの飾り付けを約一年かけて作るそうで、早い人では7月7日が終わったらすぐ作り始めるそうです。

第三講は、会場を富山市民俗民芸村に移し、篁牛人記念美術館の布村徹館長さんに「富山の天神はん」と題し、富山に天神様が根付いた背景、天神とは何かをご講義頂きました。我々は天神様と聞くと学問の神様であると思いますが、本来は雷を起こし、稲を実らせる農耕の神であると。それが米作りの盛んな富山で受け入れられた一つの要因ではなかろうかと先生はおっしゃられていました。

また、神様を知る上で古事記を紐解くことが大変重要であり、古事記の内容が事実か否かではなく古事記が我々に何を伝えたいのかを理解することが神様を知ることに繋がるとおっしゃられました。

第四講は、民族民芸村内にあります土人形工房にて、とやま土人形伝承会(会長針山裕子)の皆様のご指導の下天神様の絵付け体験をさせて頂きました。 普段は干支人形、雛人形などかぎられたものしか体験できず、今回は特別に牛乗り天神様の烏帽子、しゃく、牛の絵付けを体験できることになりました。 会員は久しぶりに持つ絵筆に四苦八苦しながらオリジナルの天神様を完成させました。

今回は普段我々が知っているようで知らなかった身近な文化を改めて再認識できた研修であったと思います。

中々勉強する機会がありませんが、この研修を契機に富山の文化について調べて行きたいです。

(林 貞文)

9/11 教養研修会を開催

豊栄稲荷神社 正式参拝

9/11 教養研修会を開催

研修風景

9/11 教養研修会を開催

研修風景2

9/11 教養研修会を開催

研修風景3

9/11 教養研修会を開催

豊栄稲荷神社にて

9/11 教養研修会を開催

研修、体験を終え

ページトップへ
TAGS: No tags

「東日本大震災」福島県双葉郡浪江町本務神社復興支援活動に参加して

 9月4日・5日に神道青年全国協議会主催で行われた復興支援活動には全国より65名の青年神職が集いました。

 福島県の浪江町は、東日本大震災による原発問題で、これまで立ち入りが禁じられてきましたが、本年の4月1日に避難指示解除準備区域となり、ほんの一部ではありますが、立ち入りが許されることとなりました。

…続きを読む ≫
ページトップへ
TAGS: No tags

長谷川宏幸君を励ます会

9月1日(日)午後7時より、松尾会長の奉務神社である八坂神社(富山市黒崎鎮座)に於いて、北陸神道青年協議会々長、そして当会監事である「長谷川宏幸君を励ます会」を開催いたしました。

…続きを読む ≫

ページトップへ
TAGS: No tags

「会員コラム」開設記念特別号『八坂神社に伝わる蜷川の昔話と蜷川氏』第3章(最終章)松尾樹 会長

第3章『その後の蜷川氏』   ①越中国新川郡蜷川荘より興った蜷川氏の子孫たち

・二代親綱は一族の菩提寺として最勝寺(富山市蜷川、現在の寺は蜷川氏の居宅跡)を建立した(建久9年 1198年)。その後、三代、四代、五代は蜷川家の記録には名のみ伝わって事蹟が詳しく書かれていない。既に宮道氏伝来の丹波に移り六代親朝の頃に足利氏に仕えて栄える基盤が早くからその地で出来上がっていたのか?

・蜷川親朝は足利尊氏に仕えて丹波に蜷川城を構え一族が足利氏及びその重臣伊勢氏との婚姻関係を結び深く幕府内に勢力を扶植した。蜷川氏は足利時代の初め、三家系に別れた。

・蜷川親朝の子親章は越中を受け継ぎ、越中に城を構え、宮道氏以来の地、すなわち新川郡では蜷川荘のほか太田荘、布施(魚津)、堀江荘(滑川)、砺波郡では蓮沼、石動の掌握に努めた。

・蜷川親章の兄弟の親俊はこれも宮道氏以来の地、丹波を継承し蟠根寺を建てて祖先を祀り、蜷川城を護持し貞繁へ引き渡した。以来丹波はこの子孫の栄えるところとなり、六代後の蜷川貞房が明智光秀に味方して天王山、山崎の戦いに敗れるまで居城する。

・蜷川貞繁の弟、親当は才知人に優れ、室町幕府の政所代という役職につき、何代も世襲し一族繁栄の中心とした。ちなみに蜷川親当は通称を新右衛門といい、テレビアニメ一休さんで登場する「しんえもんさ~ん」こと、蜷川新右衛門のモデルが「蜷川新右衛門尉親当」になる。実際、一休禅師との交友があり、このことがモデルとなった。また、文学史上でも連歌「智蘊(ちうん)」の俳号で名高い。

…続きを読む ≫
ページトップへ
TAGS: No tags

「会員コラム」開設記念特別号『八坂神社に伝わる蜷川の昔話と蜷川氏』第2章 松尾樹 会長

ご無沙汰をしておりました。

本日は9月19日に新たに開設された「会員コラム」記念特別号『八坂神社に伝わる蜷川の昔話と蜷川氏』第1章(松尾樹会長担当執筆)の続号、第2章を更新いたします。

ぜひ、ご一読ください。

第2章『蜷川親直公について』

①蜷川という姓は

この蜷川親直という方、昔から「蜷川」という姓(名字)ではありませんでした。元々の姓は「宮道(みやじ)」で、「宮道七郎親直」というお名前でした。(蜷川の姓を名乗るまで一時期太田氏を名乗る)

徳川幕府が編纂した『寛政重修諸家譜』によると、蜷川の地に居を構えて、地名である「蜷川」を名乗り始めたと記してあります。

※ 宮道氏について 先祖に物部守屋を戴き、京都山科を領した豪族。宮道弥益の娘は藤原高藤に嫁ぎ、弥益の孫にあたる藤原胤子は宇多天皇(59第)の女御として、醍醐天皇(60代)の母となる(今昔物語)

この蜷川親直公、旧姓を宮道氏として、越中にやってきたことがわかります。

言い伝えでは、70歳の高齢で没したとなっていますが、いつ頃京都からやってきたのかをお話しを書きます。

…続きを読む ≫
ページトップへ
TAGS: No tags