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東日本大震災復興支援活動(2月)

東日本大震災復興支援活動(2月) 震災復興支援 国難とも言えるあの大震災発生から、はや1年が経とうとしております。
各地のボランティアセンターも、いつの間にか次第に閉鎖され、新聞やTV報道では被災地の状況が取り上げられることも日に日に少なくなり、街角の義捐金箱も次第に撤去されました。私も富山県にあって、彼の地では順調に復興が進んでいるように思える中で、日々を何事もなかったかのように過ごしておりました。 当会では年末年始の繁忙期にあたり、2ヶ月の間、断腸の思いで被災地へ赴いての復興支援活動を休止しておりました。 年が明けた去る2月21日、ようやく復興支援活動を再開することができ、長谷川理事と嶽会員の3名で宮城県南三陸町のボランティアセンターで活動を行いました。

前日の夕刻に高岡市を出発し、道中は昨年の神青活動での四方山話に花を咲かせ、割と気楽に現地へと向かい、深夜に宿に到着しました。
しかしながら翌21日、ボランティアセンターへの移動の車中で、去る11月7日に当地で活動して以来、一向に復興が進んでいない光景を目の当たりにしました。
変化があったのは、瓦礫の山がさらに大きくなっていただけであり、前日までの自分自身の心構えが恥ずかしく思えてきました。

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当日は我々と共に、島根県災害ボランティア等の各種団体に加え、遠くは鳥取県から個人で参加した方など総勢98名がボランティアセンターを訪れました。
その中で、約50名があの三陸町の防災センター付近の「廻館地区」へ派遣され、土中に埋まっている瓦礫の撤去を行いました。 尚、現地への出発に際し、「活動中は被災者の心情を配慮して撮影は禁止です。スタッフジャンパーを脱いでから撮影してください。」とのことから、今回は活動報告用の画像は撮ることができませんでしたが、その余力を作業に費やすことができました。

昼の休憩を終えたとき、ふとしたことから嶽会員が「えびすさま」の御神像を発見し、ボランティアリーダーとして、地元栗原市から週4日参加されている後藤さんに連絡しました。 我々が神職である旨を伝えたところ、ボランティアセンターでは引き受けができないとのことで、宮城県神社庁職員で神青会員である宮崎氏に連絡し、一時預かってもらうこととなりました。
その際、後藤さんによると「今までに何体かの御神像や仏像を発見したが、そのまま放置してあり、気になるので何とかならないか。」とのことから、嶽会員が急遽、確認と回収作業にあたることになりました。 発見した仏像3体は、最後まで防災無線を呼び掛けて町民の命を救った挙式前の女性のあまりにも悲しい逸話があり、大勢の方が犠牲になられた「南三陸町防災対策庁舎」前に設けてある仮設の慰霊祭壇に奉安しました。

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最後に地元栗原市から週4日参加されているボランティアリーダーの後藤さんより「南三陸町は復興が進んでいません。くれぐれもお帰りになってからこの現状を皆様にお伝え下さい」との言葉を頂き、解散となった。 私たち三人は、もう一度、「南三陸町防災対策庁舎」に車で向かい、仮設祭壇にむかい犠牲者への黙とうを捧げ、帰路につきました。

東日本大震災復興支援活動(2月) 震災復興支援 さて、件の「えびすさま」の御神像ですが、受け取り手が見つかるまでの間、縁あって富山県で一時、お預かりすることとなりました。 後日、宮崎氏より連絡があり、管内宮司さんがお預かりされるとのことから、一応、落着しました。 今回は一日間という短い日程ではありましたが、当会は今後力の続く限り被災地へ赴き、活動を展開してまいります。

(浦 泰宏 記)

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